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 急須をコンロの火にかけた女子学生

 

 『食べることは生きること』というテーマのこの講演は、第120回日本小児科学会学術集会の市民講座においておこなわれました。講師として演壇に立ったのは、西日本新聞社の安武信吾氏です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 講演は若者と家庭の『食の崩壊』の話から始まりました。

 

 最初にスクリーンに映し出されたのは『朝食』という文字。次いで現れたのは袋入りスナック菓子の写真でした。広い会場内にどよめきが起こります。

 某大学で行われた学生たちの食の実態についての調査報告です。スクリーンには学生たちが普段とっている食事の写真が次々映し出されるのですが、そのほとんどがコンビニの弁当やおにぎり、サンドイッチ、カップ麺といったものばかり。学生自身がちゃんとつくった料理の写真はほんの数枚でした。

 こうした寒々しい食事をとる理由について学生たちは「お金がないから」「料理をしたことがないから」と回答したそうです。

 

 食べるものが命をつくります。食事とは自分の命をつなぎ、またあらたな命を創る行為にほかなりません。料理の仕方を知らない、料理ができないということは、すなわち生きる力の欠如であると安武氏は訴えます。現に学生たちは「お金がないから」と言いながら、おにぎりひとつでさえ自分でつくった方がはるかに安上がりで、安全で、美味しいことを知りませんでした。この調査に協力した女子学生の中には、お茶の淹れ方を知らず、急須をコンロの火に直接かけてしまった子もいたそうです。

 しかしこうした現状は決して学生たち自身の責任ではなく、親の責任だと安武氏は説きます。お茶の淹れ方を知らなかった女子学生は、家庭でもペットボトルのお茶しか飲んだことがなかったそうです。

 なぜ優等生が突然万引きを⁉

 次に、全国の中学校を回って性についての講演を行い、主に女子生徒の相談に乗っている助産師さんの話が紹介されました。

 その助産師さんによれば、望まない妊娠や性感染症に感染してしまう女子生徒たちの多くが、コンビニ弁当やスナック菓子、菓子パン等で食事を済ませていることがわかったそうです。

 

 別の調査でも、問題行動を起こす子どもの食生活は、やはり同様の粗末な『孤食』が多いことがわかっていますが、これは『コンビニ弁当=問題行動の原因』という短絡的な話ではなく、本来の家庭らしい団らん、温かい手料理を家族で囲んで食べる機会がないこと、または極端に少なくなっていることが、子どもの問題行動の引き金になっていることを物語っているのです。

 

 進学校に通い成績も上位のいわゆる『優等生』だった中学生が、突然万引きをして補導された事例を調査した社会福祉学の教授は、生徒が塾通いを始め、家族と一緒の夕食をとれなくなったことが万引きのきっかけになったと指摘しました。子どもが抱える不安やストレスは、本来家族団らんの中で和らげられ、解消されるもの。そういう大切な『場』を失ったことが、子どもの問題行動の引き金を引いてしまったのです。

 

 『弁当の日』で子どもたちが学んだこと

 

 そんな危機的状況に対して講演の後半、ひと筋の光明として紹介されたのが『弁当の日』という小学校の取り組みです。五年生と六年生には、秋から冬にかけての五ヶ月間、毎月1回『弁当の日』が決められ、その日は子ども自身が弁当を作って持ってくるというものです。食材を買いに行くところから、料理をし、後片付けをするまで子どもがひとりで行います。

 

 香川県のとある小学校からこの取り組みは始まりました。校長先生が初めてこの取り組みについて発表したとき、保護者からは「やったことがないのだからできるわけがない」「火や刃物を使うから危ない」「勉強する時間が削られる」等といった反対の声があがったといいます。ところが今ではこの取り組みは、全国1,800校で取り入れられるほどに広がっています。

 

 子どもたちは朝早くから台所に立って料理をします。

 それによって家族とのコミュニケーションが深まりました。

 料理の大変さ、難しさを知って、つくる人への感謝が生まれました。

 上手にできなかった子は、他者を思いやることの大切さを知り、上手くできた子は自己肯定感を育みました。

 他の生徒がつくってきた弁当と比べることで他者を認めることを学びました。

 

 ほかにも、生産者への感謝の気持ちや、食事とは命をいただくことであるという気づきがあり、家族みんなで弁当のアイディアを考える中で、家族団らんの尊さを再確認した子がいれば、料理という作業の中で、仕事には段取りがあることに気づいた子もいました。

 『弁当の日』はいいことづくめだったのです。取り組みに反対した保護者たちの心配は、まったくの杞憂でした。ちなみに講師の安武氏の娘はなちゃんは四歳から料理を教わりはじめ、教えてくれたお母さんと死別した五歳からは、毎朝みそ汁を作りつづけているそうです。

 家庭を『理想の国』に!

 

 この講演で語られた『食育』ばかりでなく、家庭において子どもたちに教えられるべきことは、他にもたくさんあります。たとえば……、

 家庭で他者への思いやりや命の大切さを教えられた子が、いじめに加担することはありません。

 家庭において正義を行う勇気と強さが育まれていれば、いじめを目撃したとき傍観者になることもありません。

 

 家族の温かい絆と存在感を毎日感じられる子が自暴自棄な行動に走ることはないはずです。

 

 家庭に決まりがあり、それを守ることの大切さや厳しさを学んだ子が、社会に出て無責任な行動を取るはずがありません。

 

 どんなに疲れて帰宅しても料理や家事をおろそかにせず、家族のために立ち働く母親や父親の姿を見て育った子が、自分の子どもを持ったとき、虐待したり育児放棄をするわけがありません。

 

 このようなことは家族が集る食卓で、同じ料理を囲む中で教えられるものです。農林水産省は第三次食育推進基本計画の中で、週のうち

11回は家族みんなで一緒に食事をとることを目標値として掲げています。(http://www.maff.go.jp/j/syokuiku/attach/pdf/kannrennhou-2.pdf

 

 どうかこの数値に近づけるよう、家族みんなで食事をとることを心がけてください。

 社会とは家庭の集まりです。理想の家庭が増えていけば、より良い社会はおのずと実現されるはず。私たちと一緒に、まずはご自分の家庭を『理想の国』に築き上げる取り組みに取り掛かってください!

安武信吾氏

西日本新聞社勤務。著者であり映画プロデューサー。

結婚後まもなく妻の千絵さんの乳がんが再発、千絵さんはまだ4歳の娘との別れを覚悟し、残された短い時間に何を伝えてあげるべきかを考えた末、料理を教えることを決意します。闘病と日常、娘との暮らし。家族を見守り続ける安武氏の視点。強く明るくけなげなはなちゃんの奮闘ぶりが感動を呼び、千絵さんの書き続けたブログに加筆したものが「はなちゃんのみそ汁」というタイトルで出版されます。のちに広末涼子主演で映画化もされました。安武氏は食育等についての講演を日本各地で行っています。

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